「小田原評定」という諺をご存知か?一般には長引いてなかなか結論が出ない話し合いや相談のことを言うようじゃが、秀吉殿による小田原征伐の際に、攻められた小田原北条家の中で和戦どちらをとるかなかなか決まらず、重臣会議が紛糾したことに由来するそうじゃ。ご存知のとおり、結局北条家は籠城による「戦」を選択して滅亡へと向かうわけじゃ。
まあこのことから悪い印象をもって捉えられがちな諺じゃがの、一方ではもともと北条家で定期的に開催される重臣会議の呼称であるという話もあるのじゃ。つまり「小田原評定」には、主君による強権的一方的な意思決定ではのうて、開かれた合議制による意思決定重視の意味合いもあるということじゃ。
これらふた通りの意味を包含しておる「小田原評定」という諺、今の時代に必要な意思決定のあり方を教えてくれておるようじゃ。
意思決定の仕方にはの、大きく分けて2つのやり方がある。ひとりで決める(トップダウン)やり方と、皆で決める(合議制)やり方じゃ。
合議制は個々のやる気を高めて力を引き出し、教育効果も望める理想のやり方じゃ。人は誰かが決めたことに従うよりも、自分で決めたことに取り組む方がより力を出し、積極的になれるはずじゃ。さらに自分たちで何事かを決めようとするためには、その事柄について多くのことを知っておらねばならんし、皆で話し合うことによってお互いに学びあうこともできるということから、教育効果も得られるというわけじゃ。もちろん様々な智恵が集まるという利点もある。
されどな、いついかなる時も皆で話し合いをして決めるのが良いかというとそうでもない。皆で決めることが必ずしも良い結果をもたらすとは限らんのじゃ。
たとえばじゃ、家に火が着いているときに「さてこれからどうしたものか」と家族会議を開くか?一刻を争う非常事態に皆で話し合っておったのでは、結論が出たときにはもう手遅れということになりかねんのじゃ。
緊急時には、上の者がひとりで決断を下さなくてはならん。北条家最後の当主、氏直殿はもともと秀吉殿と戦うことに反対だったそうじゃ。その意思を強く示して、決断を下すことができておれば、あるいは滅亡を免れたかもしれぬのぉ。
ただ気をつけなされ。ひとりで決めるからにはそれ相応の能力、つまり、そのことに対する知識やら経験がその者になくてはならんぞ。それがないと恐ろしい事態を招きかねん。火事を知らぬ上の者が火を消すのに油をかける決断を下したらどうなる?おー、くわばら、くわばら。