「心こそ 軍する身の命なれそろゆれば生き 揃はねば死す」
貴殿は、この歌を覚えておいでかの?
わしが最初に語らせてもろうた、島津忠良公の「いろは歌」のひとつじゃ。
この歌にはの、
「いにしへの 道を聞きても唱へてもわが行ひに せずばかひなし」
という歌もあっての、
「昔の偉い人物の教えをいくら聞いても、復唱してみても、行動に移さなければ何の意味もない」
という意味になろうかの。
知っておっても行動に移さぬのは、本当に知っておるとは言えぬということを言った「知行合一」という陽明学の教えもあるが、まさにそのとおりじゃな。
前回、知識と実践(経験)の両輪を回してこそ人は真に学び、成長し、人間として大きくなれると申したが、この両輪が自転車の前輪と後輪だとしたら、前に進むための駆動力を持った後輪こそが実践じゃ。実践してこそ人は前に進むことができ、目的地にたどり着くことができるのじゃ。
そして知識や知恵は前輪じゃ。ハンドルとつながった前輪が持つ役割は舵取りであり、軌道修正じゃ。
じゃが、ハンドルだけを行きたい方向に向けたり、ぐりぐり動かしてみたところで、決して自転車は前には進まぬ。目的地にはたどり着かぬ。
前に進みたければ後輪を動かすことじゃ。力を込めて後輪を動かして始めて前に進むことができるのじゃ。
もはや何かにぶら下がって、ただ何となく過ごしておるだけで生き残っていくこと能わず、己の未来は己の手で切り拓いていくしかないこの戦国時代とも言うべき厳しい時代。
自転車は止まっておったら倒れるだけじゃ。生き残るには、後輪を動かし、前輪で舵取りをしながら、少しずつでも前に進んでいくしかないのじゃ。
そうして少しずつでも前に進んだ後には、轍ができていようて。