何のためにこの世に生を受けたのか、お考えになられたことがありますか?
人は自分でよく考えてみるがよい。天は何のためにわが身を生れさせたのかと。
君主とするためか、臣下とするためか、農工商人とするためか、国家を治めさせるためか、町村を治めさせるためか、あるいはまた国家を乱し町村をさわがさせるつもりなのか。
これをわが心に問い、わが心に答えてみるがよい。
終日食わず、終夜眠らずに考えても、どうにも答えられるはずがない。結局、父母が自分を生んだのだと言うよりほか、言い方があるまい。
とすれば、父母に孝行をして、よくその仕事を継ぐよりほかに、道はないではないか。
訳注 二宮先生語録[48] 一円融合会刊
何のために生まれたのか?そんなことをいろいろごちゃごちゃ考えている暇があったら、目の前でできることを確実にしっかり実践しなさい。
頭で考えることが多く、動きの鈍いわたしにとっては、そう言われているような気がする尊徳先生の言葉でした。
昔は生まれによって一生も決まってしまうことが多かったので、父母の仕事を継ぐよりほかに道はない、と言われているのかもしれません。現代はその点、かなり自由に自分の生き方を自分で
選ぶことができます。だからああでもない、こうでもないあれが良い、悪い、と昔の人よりも余計にごちゃごちゃ考えてしまうのかもしれません。
ありがたいことですが、その分、実践が減っているのかもしれません。
考えて答えが出ないと動かない、ということではなく、答えを求めて動き続けるようにしていきたいところです。
また、前回、前々回と幸せについて考えましたが、人の世で幸せに生きるために間違いなく大切な要素になるものは、人間関係ではないでしょうか。
良い人間関係の中で生きていくことができれば、人は幸せになれるのではないかと思います。
では良い人間関係を築くために必要なものは何か、と考えると、人に対する敬意、感謝の気持ちを持てるかどうかではないかと思うのです。
では感謝の気持ちを持っている状態とは?
それは両親に親孝行ができているかどうかではないでしょうか。
自分が今生きている命の元、自分のすべての元である両親に感謝して孝行のひとつもできないで、何で他の人に感謝することができるでしょう。
親孝行は感謝の源。
感謝は幸せな人生の源。
実践はすべての源。
そんなことを感じた語録でした。