長谷川孝のブログマガジン

【武将】第27話 真実と思い込み

黒田官兵衛孝高という知将をご存知か?如水という名のほうがよく知られておるやもしれんな。老子の教えに「上善如水」というのがあっての、つまり、水が変幻自在にかたちを変えるように、柔軟に変化に適応することや、水が常に低いところに流れるように、人の嫌うことでも進んで行う謙虚さといったことの大切さを説いたものじゃが、そこから名付けたのかのぉ。

ん?「上善如水」といえば、日本酒の名前にもあるじゃと?よく知っておるな。まあ、この酒を飲むときにはよく老子の教えを味わいながら飲むようにすると良いの。

さてその黒田如水(孝高)殿が豊臣秀吉殿の参謀として仕えていたころは、茶の湯が流行しておったんじゃが、如水殿はこの茶の湯を「勇士の好むべきものではない。主客が刀も差さずに狭い空間に集まって座っており、甚だ不用心である」として嫌っておったそうじゃ。

じゃがある時、秀吉殿から茶の湯に招かれ、主命であるから断ることもできず渋々応じて席に着かれた。秀吉殿が出て来られたが茶も点てず、合戦の密談をしてから「こういう密談ができるのが茶の湯の良い点のひとつだ。普通の何でもない日にお主を呼んで密談をしようものなら、人があらぬ疑いを抱き、禍を招く元となる。それが茶の湯ということであれば、疑いを生じることはない」と言われたそうじゃ。

如水殿は大いに感服して「わたしは今日、茶の味のすばらしさを覚えました。名将が一途に物にのめり込むことなく心を配っておられる点は、愚慮の及ばないところです」と言って、これより先茶の湯を好んだとのことじゃ。

物事は固執した目で眺めると、ひとつの面しか見えぬ。ひとつの面しか見えんと、認められなかったり、批判したり、間違って解釈したり、あるいは好機を逃すということにもなりかねん。

遠い昔、人類が地球や大陸の真のかたちをつきとめていく際に最も障害となったものは何じゃと思う?

そのことに関する知識や情報の欠如ではなく、むしろ間違った知識や情報による解釈だったそうじゃ。つまり、知らぬから真実が見えぬのではなく、思い込んでおるから見えぬということじゃ。

思い込みほど己の判断を誤らせるものはない。ものごとの判断には、己の知識や経験ももちろん大事じゃが、それだけが必ずしも正しいとは限らんのじゃ。

如水殿のように、自分の中ではあり得ぬことでも一度受け容れてみると、また違った側面が見えてくるかもしれぬ。そしてその側面こそ真実なのかもしれんのぉ。

関連記事

TOP