長谷川孝のブログマガジン

【武将】第5話 勉強

扇谷上杉定正殿に仕え、勇猛で才略に富み、武事に通じた太田道灌(資長)殿という武将を存じておるか?世に、軍法の師範と言われるほどの逸材だったそうじゃ。されど、あまりに出来すぎたため、凡庸な主君に恐れられ、主に殺されるという、なんともやりきれん最期を迎えた方でもある。

さてその道灌殿の若かりし頃の話じゃ。ある時鷹狩りに出かけた道灌殿じゃが、折悪しく雨に降られてしもうた。蓑を借りようとある小さな家に立ち寄って所望したところ、若いおなごが出てきて何も申さずに、山吹の花を一枝折って差し出した。それを見た道灌殿は「わしは花を求めておるのではない!」と怒って帰ったそうじゃ。

ある者がその話を聞いて、「それは“七重八重 花は咲けども 山吹の 実の一つだに なきぞ悲しき”という古歌の心を暗に示したものでござろう。つまり、山吹の“実の”一つだに、と、“蓑”一つだにをかけて、貧しさゆえにお貸しする蓑一つさえ持ち合わせておりません、ということを申し上げたかったのでしょう。」と説いた。それを聞いた道灌殿は大いに恥じ、それから発憤して和歌を学び、ついにはその道の大家にまでなったとのことじゃ。

どれほど優れたその道の大家、天才と呼ばれる者であっても、生まれながらの才能のみによって大成することはできん。やはり努力して勉強し、学び続けるからこそ備わっている才能も花開くのじゃ。勉強は言わば種が芽を出し、花を咲かせるための水やりのようなものじゃ。

されど、現代の学舎の勉強のように、ただなんとなく言われるからやっているだけでは一切花は咲きはせん。勉強はまず己が意識を持つことから始まるのじゃ。種は「咲きたい」という強い意識を持っておるから生長するのじゃ。意識のない種は、たとえ土に入ろうとも、水をやろうともそれに気付かず、芽を出すことなく土に埋もれたまま朽ちることとなろう。

ただ日々を何となく過ごしているだけでは意識は決して生まれん。しっかり己のありようを見つめ、未来を見つめ、考えねばならん。過去からの惰性ではもう生きていけぬ今の世の中、ある意味ではそれをじっくり考える好機であろう。

今こそ意識をもって勉強をし、自らの未来を創っていく好機じゃ。 今やらねばいつやる。

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