信長殿の側近として辣腕を振るい、信長殿亡き後は秀吉殿に仕え、どのようなことでもそつなくこなすことから「名人」と呼ばれた武将がおったんじゃが、その武将名が分かるようなら、戦国武将通と認定して進ぜよう。
どうじゃな?
答えは、堀秀政(久太郎)殿じゃ。秀吉殿は小田原北条氏征伐後の関東地方を秀政殿に与えるつもりじゃったが、不幸にもこの戦役中に秀政殿が病に倒れたため実現しなかったそうじゃ。それほど有能な武将だったということじゃな。もし秀政殿が小田原の戦役後も生きておって、関東が家康殿ではなく秀政殿に与えられておったとしたら歴史はどう塗り変わっていたか・・・。江戸時代はなかったやもしれぬのお。
さてその秀政殿。屋敷の雪隠(せっちん)、つまりトイレを玄関の脇に作らせていたそうじゃ。当時、主人の居室は屋敷の奥にあり、トイレもその近くに作らせるのが普通だったそうじゃが、秀政殿はあえて玄関の脇に作らせたのじゃ。
さあ、またここで問題じゃ。なぜ秀政殿は玄関脇にトイレを作らせたのか?
「雪隠には1日に2,3度ほどずつは必ず行くものじゃ。よってその道すがら自然と屋敷で働いている家臣たちの様子を見ることができよう」というのがその答えじゃ。
現場のことを把握せず、机上で考えた理論理屈を振り回すリーダーほどやっかいな存在はない。モノやサービスを生み出す拠点であり、お客と接する最前線でもある現場。そこで何が起こっているかを把握できずに良い経営、人の力を引き出し成功に導くリーダーシップをとることなど不可能と言ってよい。
1:29:300のハインリッヒの法則というものがあっての、1つの重大事故の背景には29の軽い事故があり、その背景には300の危うく事故になるところだったヒヤっとした出来事がある、という統計上導き出された法則じゃ。
ともすれば個人的な「ヒヤっ」とした体験は、その時、その者の中だけで済まされ、公にはならずに隠れてしまいがちじゃが、重大な事故を防ぐにはこのヒヤっとした出来事をいかに顕在化させ、対策を打ち出すかが大切なのじゃ。
現場を把握するには現場に出るしかない。奥の部屋にこもって報告を待っておるだけでは決して把握できぬ。受け身ではのうて、自ら積極的に出向き、部下の顔を見、対話をして、空気を感じ、己の5感をフルに使って察知するようにせねばならんのじゃ。