長谷川孝のブログマガジン

【武将】第32話 規則

今日は久しぶりに地元、小田原の話をしようかの。
戦国時代の小田原と言えば北条殿じゃが、その治世において次のような話があったそうじゃ。

とある諸国行脚の僧が小田原の城下に来て立札を見たところ、嘆息をもらして
「北条家も大いに衰えたり。この分では遠からず滅ぶであろう」
と言ったそうじゃ。それを役人が聞きつけ、捕らえてその理由を糾問したところ、僧は
「わたしが先年、この地を訪れた際に見た立札に記されていた掟の数は僅かに12か条でした。国主北条氏康公は寛大で情け深く、度量が大きく、世にも優れたお方だ。北条家の行く末は盛んであろうと感心した覚えがあります。しかるに今日、またご城下を通って立札を見たところ、掟の数が十倍の、123か条もあるではないですか。掟の数が増えるのは悪事を働く者が増えた故でしょう。悪事を働くのは生活が苦しいからです。その民の苦しみを顧みず掟だけ増やしているとは、北条家が先代より衰えたことの証左です。民の苦しみの元は国主の不仁、驕り高ぶりにあるのです。政はやることが少ないほど素晴らしいものです。」
と答え、それを聞いた役人は感じ入って僧を放免したとのことじゃ。

人が考えたり行動をするに際して、ある一定の基準を守らせたい場合、もっとも簡単にできることは、規則・ルールを作ることじゃろう。じゃがたとえ規則を設けようとも、人が本気でそれを守ろうとしなければ、決して守られるものではない。

バレなければ良いじゃろう、見つからぬように隠れてやろう、ということになるのが普通じゃ。あるいはそのことよりも、他にもっと注力せねばならぬことがあったとしたら、そのことが守られぬということもあろう。

たとえば、時間に遅れることが絶対に許されず、少しでも遅れたら厳しい罰則が待っている運送業者で働く者に、安全のために法定速度を守れと申しつけたとして、果たしてどれだけの者がそれを守るであろうか。

じゃがたとえば、速度の出し過ぎで事故に遭い、生死の境をさまよった経験を持つ者であれば、誰に言われなくとも速度に気をつけるじゃろう。

何よりも我が社では安全が一番大事であり、そのための具体的言動を普段からトップ自らが実行している組織であれば、皆速度を守るように意識するじゃろう。

組織のリーダーの役目は、規則や罰則で人の行動を無理矢理制御することではなく、何が本当に大切なことなのかを明確にして、それを言葉と行動で示し続け、個人個人に気づかせることではないかの。

規則だけ増やしても決して人は己の思うとおりには動いてくれぬものぞ。

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