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【武将】第38話 修身から平天下

今日は戦国の世を実力一本で渡り歩き、一兵卒から大名にまで出世を果たした藤堂高虎殿の話でもしようかの。

高虎殿は何度も主君を替えた変節漢として知られることが多いが、この時代に家臣が主を替えることは特別おかしなことではないのじゃ。

むしろ主を替えられるということはそれだけの実力の持ち主であったということの現れでもある。それよりも、家臣に愛想を尽かされるトップの資質のほうがが疑われるところじゃな。

さてその高虎殿、秀吉殿による朝鮮攻めの際の武功争いが元で、加藤嘉明殿と諍いを起こし、絶交状態となったそうじゃ。

それから約30年が経った3代将軍家光殿の治世においての話じゃが、会津40万石の統治者に空きができたことを受け、重臣たちによる後任を選ぶ会議が開かれた。

その席上、高虎殿は適任者として長年の絶交相手であった嘉明殿を推薦したのじゃ。己より石高が多くなるのにじゃ。

高虎殿いわく、仲が悪いのはあくまでも私事。公のことを思えば、嘉明殿こそ適任である、と。

この高虎殿の進言が容れられて嘉明殿は会津を統治することになり所領は倍増。これを機にお互い歩み寄り、2人の仲は改善されたとのことじゃ。

公私混同は良くないと一般に言われておるが、まったくもってそのとおりじゃ。家族と喧嘩をして出社し、部下に当たり散らすような上司は最悪じゃな。

高虎殿のように、己の感情は少々横に置き、公のためを考えた言動がとれるリーダーはすばらしいと思うが、喧嘩をして頭に血が上っておる者に公私混同するなと申してもそれは難しいのが人間でもあろうて。

じゃから、実際のところ公私は切り離せぬものではないかとも思うのじゃ。

じゃとすればどうするのが一番良いか。それは普段から「私」を整えておくことではないかの。

古の教えに、「修身斉家治国平天下」というものがある。まず己自身の行いを正しゅうし(修身)、家庭を整え
(斉家)れば国は治まり(治国)、自ずと天下泰平(平天下)となろう、といったような意味じゃ。

己自身を整える、家庭を整える、価値判断基準を整える・・・。

「私」が整えられれば、おのずとそれが「公」に反映されるのではなかろうか。

「公」の元は「私」にありじゃ。

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