長谷川孝のブログマガジン

【尊徳】第22話 空気

やらなければならないことがたくさんある場合、あなたはどこから手を付けますか?

物事に優先順位をつけるのは簡単なようで結構難しくもあったりします。

翁のことばに、何事にも変通ということがある。これは 心得ておかねばならない。別のことばでいえば権道だ。

困難なことを先にするのは聖人の教で、それはたとえば、まず仕事を先にして、それから賃金を取れというように教える。

しかし、たとえば農家に病人などがあって、耕作や除草が手遅れになっているようなとき、草の多い所を先にするのは世上一般のやりかただが、このようなときに限って、草が少くて、いたって手軽な畑から手入れして、草のいたって多い所は最後にするがよい。

これは最も大切なことだ。いたって草が多くて、手重の所を先にするというと、大いに手間どれて、その間に草の少い畑もみな一面に草になって、どれもこれも手遅れになるものだから、草が多くて手重な畑は、五畝や八畝は荒らしてもままよと覚悟して、しばらく捨てておき、草が少くて手軽な所から片づけるがよい。それをしないで手重な所へ掛かって、時日を費していると、総体の田畑が順々に手入れが遅れて、大きな損になるのだ。

国家を復興するのも同じこの道理であって、心得ておかねばならない。

(中略)

百事このとおりで、村里を復興しようとすれば必ず反抗する者がある。その扱い方もこの道理であって、決して取りあわず、さわらずに、度外に置いてわが勤めを励むがよい。

訳注 二宮先生夜話[147] 一円融合会刊

尊徳先生は、とっかかりやすいところから始めましょうと言っています。

確かにそうかもしれません。やりにくいこと、やりたくないことから無理して取り組んでいると、それだけに時間をとられてしまって、本来できる別のこともできなくなってしまう可能性があります。

反抗する者は放っておいて、わが勤めに励むのが良い、とも言っていますが、これもその考え方の応用です。

やる気がなくて反抗的な人に時間も手間もかけて労力を費やすよりも、やる気があってできる人にどんどんやってもらうように持っていったほうが効果的だということでしょう。ただしこれは、別にやらない人を見捨てろと言っているのではありません。

尊徳先生はお役人として村の復興に携わっていましたから、言わば権力者です。その権力を使えばいかようにも強制労働をさせることはできたはずです。でもそうは決してしませんでした。

無理矢理何かをさせても何も変わらない。人は自ら気づき、自ら変わろうとしない限り変わらないからだと知っていたからでしょう。

意思のない人に無理矢理何かをさせるよりも、自ら気づくように仕向けるほうがよほど効果があると分かっていたからでしょう。

人は周りの空気に結構影響されます。周りが頑張っていれば自分も頑張ろうと思い、周りがダラけていれば、自分もダラけていいかな、となってしまいませんか?

みんな一所懸命働いている。しかもその働きを認めてもらえている。褒美までもらえる。なんだか未来に希望が見えてきた。

そういう空気を醸成していくことによって、やる気のなかった、反抗的だった人に自分もやってみようかな、と思わせるように仕向けるのです。

良い場の空気を創っていくこと。それは遠回りのようで実は近道なのかもしれません。

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