【尊徳】第15話 倹(下)
「倹」ということで前回に引き続きお話しをさせていただきたいと思います。倹というのは、決して単に節約する、ましてやケチることを表すのではないと前回申し上げました。ある人がいった。 一食に米一勺ずつ減らせば、一日に三勺、ひと月に九合、 一年に一斗余、これが百人で十一石、千人で百十石にな
「倹」ということで前回に引き続きお話しをさせていただきたいと思います。倹というのは、決して単に節約する、ましてやケチることを表すのではないと前回申し上げました。ある人がいった。 一食に米一勺ずつ減らせば、一日に三勺、ひと月に九合、 一年に一斗余、これが百人で十一石、千人で百十石にな
尊徳先生が仕法実施の根幹とされていた「かなえの足」、覚えていらっしゃいますでしょうか?「勤・倹・譲」の3つすなわち、衣食住になるべき物品を勤めて産出してむやみに費やさず、他に及ぼすことです。すでに勤、譲についてはお話しさせていただいておりますので、今回は倹について触
突然ですが、あなたは刃物を人に手渡すことがあったとしたら、柄の部分か刃の部分か、どちらを自分の手に持って人に渡しますか?世の中で刃物をやりとりするのに、刃の方を自分の方に向け、柄の方を先方に向けて出しているが、これが道徳の本意なのだ。この心を押し広めることができれば、道徳は完全だろうし、人
本メルマガもおかげさまで今回で12回目の発行となりました。ありがとうございます!好き勝手に書かせていただいているのですが、それでもやはり読んでくださる方にどう受け止められているのだろうか、ということは気になるものです。それで、時折お読みいただいている方からお言葉をいただいたりすると
前回、率先垂範についてお話しいたしましたが、そうして自ら先に立って指し示しても、それでも動かない人がいたとしたら、あなたはどうしますか?自分が早起きしてのちに民にこれを教え、 自分がおそく寝てのちに民にこれを教え、自分が精励してのちこれを民に推し広め、自分が節倹を行ってのちこれを民に及ぼし
前回「勤」についてお話ししましたが、尊徳先生の言う「勤」は、お前たちはただ言われたとおりにがむしゃらに働けば良いのだ、ということではありません。仕法を実施する覚悟があるかを確かめたように、人が自ら進んで喜んで働くように持っていく様々な工夫をしているのです。その工夫のひとつはこれもす
以前「譲」についてお話しをさせていただきましたが、覚えていらっしゃいますか?尊徳先生が仕法実施の根幹とされていた考え方は「勤・倹・譲」の3つです。尊徳先生はこの3つを「かなえの足」と言っています。すなわち、勤は衣食住になるべき物品を勤めて産出すること。倹は産出した物品をむや
「覚悟」ということ、尊徳先生は非常に大切にしていました。尊徳先生が仕法を施す際、必ずすることがあります。それは責任者、トップリーダーに仕法を実施し、続ける覚悟があるのかを確認し、促すことです。例えば、藩のトップは藩主です。その藩主ではなく役員である家老が尊徳先生のところを訪
前回からの引き続きで今回も報徳です。どのようにすれば恩徳を感じることができるか、その意識を常にお持ちの方にしてみれば問われている意味すら分からなかったかもしれませんが、わたしのような凡人はすぐに当たり前と思ってしまい、恩徳に報いるどころか、逆に不満に思ったりすることもあるわけです。
皆さんは食事のあと、使った調理器具や食器を洗いますか?もちろん洗いますよね?わしは台所には立たん!という確固とした自分をお持ちで、どなたかに洗ってもらっている方も含めてお考えください。では、なぜ食器を洗うのですか?過去をかえりみれば、きっと恩を受けて返さなかったことがあろう