長谷川孝のブログマガジン

【尊徳】第11話 至誠

前回、率先垂範についてお話しいたしましたが、そうして自ら先に立って指し示しても、それでも動かない人がいたとしたら、あなたはどうしますか?

自分が早起きしてのちに民にこれを教え、
自分がおそく寝てのちに民にこれを教え、
自分が精励してのちこれを民に推し広め、
自分が節倹を行ってのちこれを民に及ぼし、
自分が推譲してのちこれをさとし、
自分が忠信孝弟であってのち民を導く。

百行みな同様である。 それでもなお民にふるい立たぬ者があるとしたらならば、 それはわが心に誠実の至らぬものがあるためである。

訳注 報徳外記「教化(中)」 一円融合会刊

尊徳先生は自分に誠実さが足りないのがその原因だと言っています。

かつて尊徳先生は仕法を始めた当初、その現場であまりに妨害行為を繰り返され、それに大いに頭を悩ませた時期がありました。

宗教家を呼んで感化を試みようともされたようです。まったくもって尊徳先生らしくない行為ですが、それほど悩んでいたということでしょう。

結果、尊徳先生はついに現場を放棄して行方知れずになってしまうのです!

こんなに一所懸命やっているのに、邪魔されて、誹謗中傷で殿様にまで訴えられて、呼び出されて。一体誰のためにやっていることだと思っているんだ。もうやってられるか!

となってもおかしくありません。いえ、わたしなら絶対そうなる自信があります(笑)

実際のところ尊徳先生は迷い、雑念を断ち切るためでしょうか、成田山新勝寺で21日間の断食祈誓をしていたのです。そしてこの祈誓によって不動心を養い、誠を尽くしきる信念を固められたようです。

それまでも誠の心をもっていたはずです。何せ、小田原から赴任地には家財道具一切を売り払って赴いているのですから、それだけでも相当なものです。

しかしそれでも足りなかった。

実はまだこの頃の尊徳先生には、自分を妨害する者は悪という決めつけがあったのではないでしょうか。

それが本当の誠を邪魔していた。

その心を断食祈誓によって取り払い、善も悪もない。すべては己の心次第、という境地に達したのかもしれません。ですから、至誠というのは、生半可な誠の心ではないということです。

吉田松陰も至誠を大事にしていたと言われますが、あの生き様を見ていると、物事を成すにあたってたとえ命を落とそうとも構わない、極言すればそこまで何かのために尽くすことが本当の至誠というものなのかもしれません。

尊徳先生は次のように誠について説明しています。

衰村に臨んでその民を治めようとする者は、必ず自ら 誓うがよい。

村中にもし飢える者があれば自分は食わない、
寒夜もし夜着のない者があれば自分も夜着を用いない、
夏の夜もし蚊帳のない者があれば自分は蚊帳を張らない、
夜三更(0時)を過ぎてまだ休まない者があれば自分も寝につかない。

そうして、もしも法を犯し罪に陥る者があれば、君は自分に幼児の守りを命ぜられたが幼児が井戸に落ちた、これは幼児の罪ではない。守りをする者の罪であると言おう、と。

こうして真に誠実をもって日に月に心力を尽くし、久しく行って倦まないならば、民のこれに応ずることは 影の形に従い響の声に応ずるごとくであって、感奮興起しないものはないのである。

訳注 報徳外記「教化(中)」 一円融合会刊

概して命をかけろ、というような根性論ではなく、具体的に分かりやすく説明するところが尊徳先生です。

そして、誠がないところではどうなるかについても説明をしてくれています。

もし心がここになく、口から耳へさとし、詐術をもって率い、刑罰をもって威したならば、終生心力を尽くしても、美風感化の功を見ることはできない。

かつて俗吏があった。衰村に臨んで早起きを指導し、勝手に禁令を立てて村民を鶏晨に起し、従わない者が あれば縄ないを課してこれを贖わせた。

いったんは効果があるようであったが、役人が通りかかるのをうかがって火をたいて早起きに見せかけ、うまく縄ないの責めをのがれるだけであった。

これがいわゆる「これを導くに政をもってし、これを斉うるに刑をもってすれば、民免れて恥じなし(論語、為政篇)」というものである。

訳注 報徳外記「教化(中)」 一円融合会刊

表面だけ取り繕う見せかけの行動。人にさせようとしていないか、そして、自分自身もしていないか・・・。

目に見えぬ 神にむかひて はぢざるは 人の心の まことなりけり(明治天皇御製)

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