武田信玄殿の話じゃが、信玄殿が学ぶということについて次のように申されたそうじゃ。
「人にとって学問とは、木に枝葉が必要なようにとにかくなくてはならぬものである。ただし学問とは書物を読むことばかりをいうのではない。各自が必要な道について深く学ぶことをいうのである。
武門の家に生まれた者は、身分の低い高いに関わらず、武功のある人のもとに行って教えを請い、1日に1つずつ聞けば1ヶ月で30ヶ条のことを知ることができる。
ましてやそれが1年になれば360ヶ条のことを知ることとなる。それによって、昨年に比べ今年の自分は、はるかに向上していることがわかるであろう」
と。
人の成長には学び続けることが不可欠じゃ。頭も心も体も、すべて学ぶことによって成長するのじゃ。
じゃが学ぶというのは信玄殿も言うように、本を読んで勉強することだけでは十分ではない。
それだけでは浅い。もっともっと深く学ぶことが大事なのじゃ。
そして深い学びは「座学と実学」の組み合わせによって得られるものだとわしは思うておる。
知識として仕入れた事柄を実践してみる。そしてその経験から得たことを次に活かす。そのために既存の、あるいは新たな知識を活用する。
この繰り返しこそが深い学びにつながるのじゃ。「知識と経験」の両輪を回してこそ人は真に学び、成長し、人間として大きくなれるのじゃ。
さらに信玄殿の言葉は次のように続いておる。
「たとえ読み書きができない者であっても、このような心構えを持った者をわしは重用する」
たとえ”今”読み書きができずとも、学ぶ意欲のある者であれば、いずれ読み書きもできるようになる。
逆に今読み書きのできる者でも、学ぶ意欲のない者にはそれ以上の発展は望めぬ。
すべては意欲が出発点じゃ。意欲をもって、前に進んで参ろうぞ!