長谷川孝のブログマガジン

【尊徳】第21話 芋こじ

二宮翁夜話の著者、福住正兄は「富国捷径」と題した書物も書き記しています。

「富国への近道」というタイトルですが、本書には報徳仕法を行うには社を結んで同心協力して行うのが最もよいとして、その結社の基本となる考え方、設立の方法等が記されています。

結社というと、ショッカーのような怪しいイメージがすぐに湧いてくるわたしですので、「共通の目的のために組織される団体」と言った方が良いでしょうか(笑)。

つまり、決して怪しい組織づくりの勧め、ではなくて、成果をより大きくするために皆で協力できる仕組みをつくりましょう、ということです。

さて、前置きが長くなりましたが、この書に次のような記載があります。

社中折々集会して、身の修めかた、世間のつきあい、家業の得失、農業のしかた、商法の掛引き、また心配筋のこと、自分に決しがたきことなど、みな打ちあけて相談して、それよりはこのほうがよい、これよりはあのほうがよろしい、また、これよりこのほうが徳だ、それよりもこのほうが便利だと、相互に相談するのでござる。

また教導職に説教を頼み、また学者に正講をも頼み、聴聞してますます善心を固くするがよろしいでござる。この集会をなすことを、二宮先生は芋こじと常に申され たでござる。

これは、集会にたびたび出るは芋こじをするようなもの で、相互にすれ合って汚れが落ちて、清浄になるというたとえでござる。

訳注 富国捷径(抄) 初篇 第三 会議の弁 一円融合会刊

芋と水をひとつの容器に入れて、その隙間に棒や板を差し込んで掻き回すと、芋と芋とがこすれ合って、次第にきれいになっていく、というのが芋こじだそうで、それになぞらえて、人と人とがひとつの場に集まってお互いにああでもないこうでもないと言葉を交わしたり心を通わせたりしながら、切磋琢磨して磨かれて成長していくことを尊徳先生は芋こじ、と言われたのでしょう。

今の時代、本を読んだり、テレビやラジオを視聴したり、あるいはインターネットを使えば居ながらにして世界中の情報がどんどん入ってきます。ですから、知識を増やそうと思えばいくらでも増やせる時代です。

しかしいくら知識があっても、生きていくうえでそれほど役には立ちません。大事なのは知っていることをどう活かすかの、知恵です。

知識を知恵に昇華しなければなりません。

砂糖は甘いらしい。と知っていても、それだけでは、だから何?となります。砂糖は甘いらしいけど、実際に食べてみたら確かに甘かった。だから苦いコーヒーにいれてみた。そしたらコーヒーが数段おいしくなった。

となれば役にたつ知識となります。

そして昇華には経験という材料が必要です。経験を積むことが知恵を得るためには不可欠です。

知っていることを実際に試してみる、知っていることを人に話して意見を聞く、自分の意見を言う・・・すべて経験です。芋こじの場は、そういった経験をさせてくれる大切な場ではないかと思います。

実際に砂糖をいれたらコーヒーがおいしくなった。でも緑茶にいれたら不味かった。

コーヒーに砂糖をいれるとおいしいよね、と話をしたら、え?まずいよね?と言われ、まったく理解されなかった。

すべて経験です。

ものによって、人によってその効果や認識が異なることが分かり、その経験をその後に活かすことができるのです。

ですから、試すこと、人に話して意見を聞くことはやはり必要なのです。

そうすることで、お客さんには砂糖をいれずに添えておくようにして、好みによって自分でいれてもらえるようにしようか、という具合に活かすことができるわけです。

人はやはり人の中でこそ育つものです。閉ざされた自分の枠の中だけで物事を考えるよりも、どんどん枠を超えて
どんどん経験を積むことで、より大きく成長していきたいものです。

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