長谷川孝のブログマガジン

【尊徳】第4話 修身

二宮金次郎の像をご覧になったことはありますか?

弊社小田原の事務所では、小さな金次郎の銅像が玄関でお客様をお出迎えしております。ご多分に漏れず、本を読みながら薪を背負って歩いている姿です。働きながらも寸暇を惜しんで本を読んで学ぶ。まさに勤労、勤勉さを象徴する姿ですね。

しかし今の時代、歩きながらスマホを見ていても、あの人勤労、勤勉の鏡だね~、と思われないのは何故でしょうか!?

さて。

この金次郎が読んでいたとされる本ですが、「大学」であるという説があります。

そもそも本を読みながら薪を背負って歩いていたということ自体、逸話であって事実ではないとも言われていますが、金次郎生涯のうちで本書を読んで学んでいることは事実ですので、この本に一体何が書かれているのか、興味を覚えました。

「四書五経」は儒教の経典、つまり儒教を学ぶ上での教科書としてよく知られていますが、「大学」はこの教科書のうちの1つです。他に論語、中庸、易経、などがあります。

そしてこの「大学」には、【格物 致知 誠意 正心 修身 斉家 治国 平天下】の八条目と呼ばれる学びがあります。

わたしの解釈では、この八条目の言わんとするところは、何事かを成そうとするならば、常に我が身を修める、すなわち正しい行いをすることをその根源に置く必要がある。

そして正しい行いをするためには、正しい判断をしなければならず、そのために物事の原理原則、道理や本質を理解できるよう常に学び続け、正しいことをやり抜く勇気を持ち、判断の目が曇らないように怒りや恐れ、嫉妬や憂いといった心の偏りをなくすよう努めなければならない。

といったところです。

したがって、ここでの一番のポイントは修身にあると思うのです。

修身というと、何となく聖人君子のような生き方、身の処し方を求められ、最終的には霞を食べて生きていかなければならないのではないか、と思われるかもしれませんが(わたしだけですか?笑)、そんなに難しく考えなくても良いと思います。

わたしは、自分のできることをできる範囲で実践していくことが修身だと思うのです。

自らが動くことによってその波動が他人に伝わり、波紋が広がるように状況が動いていくのです。

何でうちの子はあーなんだ、うちの社員はこーなんだ、あいつらは、うちの会社は、この町は、この国は・・・、

と他人や環境に対する不平不満をあーだこーだと並べて「~のせい」にして終わりでは波動は生まれず、状況は
なにひとつ変わりはしません。

状況を変える、ありたい未来を実現するためには、今自分にできることは何か、すべきことは何かを考え、
一歩ずつでも動いていくしかないのです。

Ask not what your country can do for you,
ask what you can do for your country.

ケネディ大統領の有名な言葉です。countryを自分の身近なところに置き換えて考えてみるとよりしっくるのではないでしょうか。

最後に夜話からひとつ。

惰風がきわまって、汚俗にそまりきっている村里の気風を刷新するのは、非常にむずかしいことだ。どうしてかといえば、法で戒めても守らない、命令をしても行わない、教を施しても聞こうとしない。そういう連中なのだから、家業に精励させる、頭を義に向けさせるといっても、実にむずかしいことなのだ。

私がむかし桜町陣屋に来たところが、配下の村々は、怠惰のきわみ、汚風のきわみで、何ともしようがない。そこで私は、深夜とか、あるいは未明に、村里を巡回することにした。

なまけ者を叱るのではない、朝寝を戒めるのでもない。良いとか悪いとか、勤勉とか怠惰とか、一切いうことを避けて、ただ自分の勤めとして巡回を続けて、寒くても暑くても、雨風のときでも休まなかった。

そうして一、二ヶ月もたつと、ようやく足音を聞いて驚く者がでてくる。足跡を見て不思議に思う者がでてくる。また、まともに出会う者もある。

それから村民同士の間に戒め合う気持ちや、うかうかしてはおられぬぞという気持ちが生じて、数ヶ月のうちに、夜遊び・ばくち・けんかなどはもちろん、夫婦の間にも小百姓の間にもいさかい合う声が聞かれないようになった。

(以下略)

訳注 二宮翁夜話[188] 一円融合会刊

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