徳川家康公はお主も存じておろう。戦乱の時代に終止符を打ち、徳川15代、江戸幕府約270年の基礎を築いたお方じゃ。
これはまだ豊臣秀吉公ご存命のころの話じゃが、秀吉公が諸大名を集めて歓談しておられたある日、話がたまたま自分たちの所蔵する宝物自慢になったそうじゃ。
まず秀吉公が所蔵する自慢の宝を数え上げた。まあ天下人じゃからの、それは大層な宝物をお持ちだったじゃろうて。
促された諸大名も同じように数え上げたが、その場に居合わせた家康公だけが口を開かんかったそうじゃ。それを不審に思った秀吉公が家康公に尋ねた。
「家康殿はどんなお宝をお持ちかの?」
家康公、答えて曰わく
「いやはや困りましたな。わたくしめはご存じのように、三河の田舎武者でございますので、これと言って珍しい宝などは所蔵しておりません。ただしいて申しますれば、わたくしにはたとえ火の中水の中に入ることになろうとも命を惜しまぬ家臣が500騎ほどおります。これこそ一番の宝でございますなあ」。
それを聞いた秀吉公は「そのような宝をわしもほしいものだ・・・」と感慨を込めて言われ、またそれを伝え聞いた家康公の家臣たちは一層の忠誠を誓ったそうじゃ。
家康公のこの言葉の根底には何があると思う?わしには、家臣に対する「感謝」の気持ちが感じられるがお主はいかがじゃ?
“わたしが今ここにあるのは家臣のおかげである。わたしは部下の働きによって支えられている”
心の底からそう思っておるからこそ、普段の何気ない会話の中でこのような言葉が口をついて出てくるのじゃろうて。
人の思いは、ふとした瞬間の表情や言動に表れるものじゃ。たとえ口には出さずとも「社員はオレ様のおかげでここで働いていられるんだ」と思っていると、必ずそれは社員に伝わる。
「商品を売ってやってるんだ」と思っていると、必ずお客様に伝わる。 世の中のことは何ごとにおいても“有り難い”ことなのじゃ。現状を“当たり前”だと思う慢心からほころびは始まる。社員や共に働く仲間、そしてお客様、その他あらゆることに対する有り難さ、感謝の気持ちを決して忘れてはならぬぞ。