戦国武将に学ぶリーダーシップ

【武将】第6話 忠義

「主君の間違いを諫めることができる家臣は、戦場で一番槍の功を立てる家臣よりも、はるかに忠義の臣である」

とは、徳川家康殿の言葉だそうじゃ。人間一人の考えが及ぶ範囲というのはたかが知れておる。どんなに凄腕のカリスマワンマンリーダーでも、間違いを犯すことはあるものじゃ。しかしの、客観的に見て明らかに「おかしい」場合でも、自らを過信している者はその間違いになかなか気づかんものじゃ。そこで重要になってくるのが、その間違いを指摘してくれる存在が側におるかどうかじゃ。

昔、ある国の権力者が馬を指さして「これは鹿じゃ」と言った。その取り巻きは誰もが馬だと分かっていながら、鹿だと追随したという話があるそうじゃ。「馬鹿」という言葉はここからきておるという話もあるが、まあその真偽はさておき、その後この権力者は追い落とされ、国は滅んだそうじゃ。

組織が「馬鹿」に犯されているとやがてその組織は滅びる。上の気に入るようにしか物言わず、行動せず、上にとって耳障りの良いことしか報告せず、問題点は隠す。たとえ上が間違っていると思ってもそんなことはおくびにも出さず、媚びへつらい、我が保身のみに明け暮れる・・・。そんな状況で良い組織作りができると思われるか?まずムリじゃな。だから「馬鹿」に犯された組織を待つのは崩壊の道しかないのじゃ。

ここでひとつ、間違えてもらっては困るので言っておくがの、「馬鹿」なのは決して部下のことではないぞ。そういう雰囲気をつくっておるリーダー自身のことじゃ。「うちの社員は使えなくて・・・」などと愚痴るよりも前にすべきことがあろう。

リーダーたるもの、我が身の回りで起きる事柄はすべて自分にその原因があると考えなければならん。 主君の間違いを諫める真の忠義者の出現を期待するのではなく、誰もが忠義者になれる環境をつくることが大切なのじゃ。

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