長谷川孝のブログマガジン

【武将】第12話 目標

このところ世の中はガラガラ音を立てて動いておるようじゃが、今年もこの動きは止まりそうにないのう。

「わしゃ、止まると死ぬんじゃ」という名言をご存知か?大阪人ならご存知であろう。老人に扮した間寛平殿が吉本新喜劇で披露する定番ギャグじゃな。いやー懐かしいのお。

・・・ま、そんなことはどうでも良いが、今はまさに「止まると死ぬ」ぐらいの気構えをもって、世の中の動きに負けぬぐらい、自らも動いていかねばならんと思うのじゃ。

動くと言ってもただ闇雲に動いてもしょうがない。やはり目指すべきもの、目標が必要じゃ。

片田舎の一領主から中国地方全土をほぼ手中に収める戦国大名へとのし上がった毛利元就殿がまだ12歳の時の話じゃ。

ある日、厳島神社に詣でた元就殿が、一緒に詣でた従者に何を祈ったのかと尋ねた。すると従者のひとりが「殿が中国地方を手中に収めることをお祈りいたしました」と答えた。

それに対して元就殿が「中国地方とは望みが小さい。天下統一を祈願すべきだ」と言ったところ、従者も「天下統一は、まず中国地方を手中に収めてからの話ではございませぬか?」と言い返す・・・。

さて、貴殿が元就殿だとしたら、ここでこの従者に何と言われる?

当の元就殿は「中国地方を手中にしたいと願えば、どうやって中国地方を手中にしようかというところまでしか考えが及ばぬ。されど天下を統一しようと思えば、中国地方はその過程でおのずと手中に収まるものである」と言ったそうじゃ。

元就殿と同じように考えていたなら、貴殿はきっと大人物に違いない!

どこに目標を持って物事を進めるかは大事なことじゃ。目指すものが違えば、おのずと思考や行動も違うものになるのじゃ。

たとえば、裏の小山に登ろうとするのと、富士の山に登ろうとするのでは、その方法や準備、事前訓練などの力の入れ用はまったく異なるものになるであろう。

わしは小山で良いと思うか、富士を目指すか、それは己次第じゃ。されど、目指したもの以上の成果はなかなか出ぬと思ったほうが良い。目指すところが低すぎると、それ相応の結果しか生まぬのじゃ。 かと言って高すぎてもいかん。個人なら良いが、組織の長として皆に目標を示すときには、最初から皆が無理だとあきらめるような高すぎる設定は注意が必要じゃ。エベレストを目指すと言っても、皆が「法螺」としか受け止めなければ何の意味もない。皆が本気にならねば目標など何の意味も持たんのじゃ。

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