今年の大河ドラマは見ておいでか?源平合戦から物語は始まっておるが、諸行無常じゃな。人はいつどこでどうなるか分からんもんじゃが、実はすべて予め決まっているのかもしれんと考えさせられることもある。
10年ほど前じゃが、イタリアの豪華客船が座礁した事故があったのじゃが、その船になんと、100年前にタイタニック号沈没事故で犠牲になった乗客の遺族が乗船していたらしいのじゃ。
・・・。よう考えればこれは単に金持ちの家系というだけのことかもしれんがのぉ。
さて、ということで今日は船の話から始めようかの。
「君は船、臣は水」、「水よく船を浮かべ、またよく船を覆す」。
徳川家康殿が言ったとも、毛利元就殿の家臣の言だとも言われておるが、中国の古典にも同じような言葉が見られるので、人の上に立つ者の心構えとして重要な教えということなのであろう。
これすなわち、リーダーが船で部下は水のような関係だということじゃ。申すまでもないが、船は水がなければ動くことができん。用を為さぬのじゃ。それと同じように、リーダーは己の力だけで仕事ができているわけではない。
部下や自分をとりまく様々な人の助けがあって初めてリーダーたり得るのじゃ。
それを忘れたリーダーはもはやリーダーではない。あっという間に部下の心は離れ、孤立してしまうことであろう。下手をすれば足をすくわれることにもなりかねんのじゃ。じゃから決して驕ってはならん。感謝の気持ちを忘れてはならん。部下を大切にせねばならん。
じゃが、己が船で部下が水じゃと考えて、いつひっくり返されるか、常におっかなびっくりやっとっても、これもまたうまくいかんじゃろう。
そう考えるとわしは、「リーダーは船、部下は水」という関係より、「リーダーは水、部下は魚」という関係の方が望ましいように思うのお。
つまりじゃ、リーダーは水のようにすべてを包み込み、深い懐でやさしく見守る。そして部下は水という存在に包まれて安心して自由に泳ぎ回る魚のように、自分の意思と力で自ら進んで行動する、という関係じゃな。
水がないと船が動けぬことも心すべきことじゃが、水がないと魚が泳げぬことも忘れてはならん。それとの、水が汚れていても魚は生きていけぬ。水は常に魚が元気に泳ぎ回れるような状態になくてはならんのじゃ。
魚が活き活き元気に泳ぐ環境を整える。それがリーダーの重要な役割なのじゃ。