長谷川孝のブログマガジン

【尊徳】第8話 覚悟

「覚悟」ということ、尊徳先生は非常に大切にしていました。

尊徳先生が仕法を施す際、必ずすることがあります。

それは責任者、トップリーダーに仕法を実施し、続ける覚悟があるのかを確認し、促すことです。

例えば、藩のトップは藩主です。その藩主ではなく役員である家老が尊徳先生のところを訪ねて、仕法の懇願をしたとしても最初はまったく相手にしません。たとえ藩主の命を受けて来た家老であってもです。

身分などまったく無視して、農民である尊徳先生が家老に対してそこまで言うか、とヒヤヒヤするくらいのことを言って追い返します。

それでも尊徳先生の言葉にはブレがありません。非常に筋道が通っていて、説得力がありますので家老は納得して帰り、藩主の覚悟を引き出して、それを認めた直筆の手紙を持ってまた尊徳先生の元を訪ね、そうしてようやく仕法が始まるのです。

そして仕法の実践にあたっては、家老のように仕法を実際に推進する中心人物に対しても覚悟を求めます。

わが道は大業である。それゆえ、これを行う者は、 よろしく俸禄を辞退すべきである。これが推譲を尊び 成功を全くするゆえんなのだ。

けれどもその大業を勤めるには、飯米・食費がなければ ならない。それで俸禄の代わりに開墾田の産米を支給 するのだ。 時にこれをも辞退する者があれば、こう言ってさとす。

「辞退すべきではない。自分の所有がなくてただ推譲 と称しているのは、こじきが断食を自慢するのと相違 がない。 自分の所有でないものを譲るのはたやすく、自分の所有 であって譲るのはむずかしい。 俸禄を辞退したのは、道を行うためである。 開墾田を受けるのは事業を勤めるためである。 その受けたところの飯米・食費を倹約して、余財を推すならば、これこそ真の推譲と言えるのだ。」

訳注 二宮先生語録[312] 一円融合会刊

仕法は決して楽なものではありません。と言うか、堪え忍ぶ生活をしなければなりませんので辛いものです。

今辛いのは明るい未来を切り開くためだと思える人がいれば、今辛いのはあいつのせいだ、としか思えない人もいます。なぜこんなに辛いことをしなけらばならない。実は辛いのは我々だけで、家老は命令だけして自分では何もせずに、のほほんと暮らしているのではないか。といったような人々の恨み節が推進者に集まることは避けられないことと言っても良いでしょう。

そうなることを分かっていた尊徳先生は、推進者が批難の的にならないように、先の俸禄辞退を勧めるのです。

自分には一切やましい心はない。すべては藩を立て直すためにやっていることだという覚悟を示すために。

尊徳先生自身、小田原藩主から分家である桜町領の仕法を依頼されて任地に赴く際、せっかくそれまで苦労をして復興させた家、田畑から家財道具一切に至るまでを処分して家族ごと現地に移り住むほどの覚悟をもってその仕法に臨みました。

さて。翻って自分は何か事を為そうとする際、一体どれだけの覚悟をもってそれに臨んでいるだろうか・・・
何となく与えられるものをこなしてできたように見せて終わりにしてはいないだろうか・・・。

と思わずにはいられません。
もう一度自分を見つめ直し、どんなことにも全力で取り組む意識を!初心忘るべからず。一期一会。

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