以前「譲」についてお話しをさせていただきましたが、覚えていらっしゃいますか?
尊徳先生が仕法実施の根幹とされていた考え方は「勤・倹・譲」の3つです。
尊徳先生はこの3つを「かなえの足」と言っています。
すなわち、
勤は衣食住になるべき物品を勤めて産出すること。
倹は産出した物品をむやみに費やさないこと。
譲は衣食住の3つを他に及ぼすこと。
このうち1つでも欠けてはならない。必ず兼ね行わなければならないと。
PDCAサイクルならぬ、勤・倹・譲サイクルとでも申しましょうか。この基本サイクルを回すことが仕法成功、
豊かな暮らしへの道ということです。今回はこのうちの「勤」についてお話しを進めさせていただきたいと思います。
「勤」すなわち、勤労、働くこと、勤めることです。当たり前と言っては当たり前ですが、働かない限り
富を得ることはできません。しかしその働き方によっては得られるものが変わってくる可能性があります。
尊徳先生の元で働いていた者が国に帰ることになったとき、先生が諭されたことがあります。
私が若いころ、初めて家を持ったときに、一枚の鍬が破損してしまった。隣の家に行って鍬を貸してくださいといったら、隣のじいさんは、今この畑を耕して菜をまこうとするところだ、まき終わらねば貸してやれない、という。
訳注 二宮翁夜話[夜話131] 一円融合会刊
さて。あなたならこの後、どうしますか?
わたしなら家に帰って他のことをして、じいさんの作業が終わるまで待ちますね。
%%sei_name%%さんはいかがですか?
・・・。
では尊徳先生は、どうしたか。
私は家に帰っても別にする仕事がないから、私がその畑を耕してあげましょうといって耕して、それから菜の種をお出しなさい、ついでにまいてあげましょうといって、耕した上にまいて、その上で鍬を借りたことがある。
訳注 二宮翁夜話[夜話131] 一円融合会刊
ということです。
そうしたらその隣のおじいさんは、鍬だけではなく、困ったことがあったら何でも遠慮なく言ってください、必ず用立てます、と尊徳先生に言ったそうです。
また他にも、
毎晩寝るひまをさいて、精を出してわらじ一足でも二足でも作る。そうしてあくる日開墾地に持って行って、わらじの切れた人、破れた人にやる。受けとって礼をいわれなくても、もともと寝るひまに作ったものだから、寝た分と思えばよい。
礼をいう人があれば、それだけの徳だ。もし一銭半銭を礼にくれる者があれば、これまたそれだけの利徳だ。
よくこの道理を感銘して、連日怠らなければ、一家確立の志の貫かれぬ筋合いはない。何事でも成就しない はずはない。私が幼少の時の努力は、これ以外になかったのだ。 肝に銘じて、忘れるでない。
訳注 二宮翁夜話[夜話131] 一円融合会刊
と諭しています。
働くことによる見返りは何か、何を得られるのか、と、自分目線でばかり考えていても良い成果は得られません。
それよりも相手の得られることを考えてそれを提供することが良い成果につながるのです。
働くことの本質ではないでしょうか。
空腹のときによそへ行って、飯を食わしてください、そうしたら庭を掃きましょう、といっても、決して一飯をふるまう者があるはずはない。空腹をこらえてまず庭を掃いたら、あるいは一飯にありつくこともあるだろう。
訳注 二宮翁夜話[夜話131] 一円融合会刊