【武将】第46話 衆知
家康殿が腹臣の本多正信殿と家臣3人を呼び出したところ、そのうちのひとりが一通の書付を懐から取り出し、家康殿に差し出したそうじゃ。家康殿がそれは何かと尋ねたところ「拙者が内々気付いたことを書き付けておきましたもので、憚りながらご参考になるかと思い、お持ちいたしました」とのこと。家康殿
家康殿が腹臣の本多正信殿と家臣3人を呼び出したところ、そのうちのひとりが一通の書付を懐から取り出し、家康殿に差し出したそうじゃ。家康殿がそれは何かと尋ねたところ「拙者が内々気付いたことを書き付けておきましたもので、憚りながらご参考になるかと思い、お持ちいたしました」とのこと。家康殿
近年は花見にも自由に行くことができんかったが、桜は良いのぉ。わしは今年は小田原城の桜を堪能したんじゃが、お堀の水面に映る櫓と桜の調和が美しかったのぉ。桜と言えば、秀吉殿の醍醐の花見はさぞ賑やかだったんじゃろうの。千人以上の人々が集ったそうじゃが、権力の象徴じゃな。さてその秀吉殿の参
「のぼうの城」という映画をご存知か?戦国好きならご存知であろうの?秀吉殿による天下統一最後の戦であり、この戦で戦国時代が終焉したと言われる小田原征伐。小田原城と言えばかつて戦国最強と謳われた信玄殿、謙信殿をもってしても落城せなんだ難攻不落の城じゃ。この小田原城の堅牢さは城自体の強さ
今回は大坂の役のころの話じゃ。西国から島津その他が大坂方に味方して、兵糧を積んだ船が数千艘馳せ上るとの噂がたったそうじゃ。家康殿はその噂を耳にして使番を呼び「大坂の木津と堺との間に船を停泊させるところがあるかどうか見て来い」と命じられた。使番が「かしこまりました」とすぐさま席を立と
近頃は流行病(はやりやまい)に罹る御仁が多いようじゃが、貴殿は大丈夫かの?わしは流行には疎いほうでのぉ。ただ、油断は禁物じゃ。失うて改めて気づくのが健康の有り難さよな。家康殿74、秀吉殿61、信長殿48、信玄殿52、謙信殿49。これらは何の数だと思われる?それぞれ天下を狙える実力を
唐突じゃが、貴殿はリーダーはどのように生まれると思われる?戦国という時代は過去の地位や権威に頼っておるだけでは決して生き残れぬ実力主義の時代じゃ。弱肉強食、各地で真の実力者が台頭した。じゃがその者たちを見ると、秀吉殿のようにほんに何も背景のない立場からのし上がった人物は稀での、そのほとんど
「心こそ 軍する身の命なれそろゆれば生き 揃はねば死す」貴殿は、この歌を覚えておいでかの?わしが最初に語らせてもろうた、島津忠良公の「いろは歌」のひとつじゃ。この歌にはの、「いにしへの 道を聞きても唱へてもわが行ひに せずばかひなし」という歌もあっての、
武田信玄殿の話じゃが、信玄殿が学ぶということについて次のように申されたそうじゃ。「人にとって学問とは、木に枝葉が必要なようにとにかくなくてはならぬものである。ただし学問とは書物を読むことばかりをいうのではない。各自が必要な道について深く学ぶことをいうのである。武門の家に生まれた者は
今日は戦国の世を実力一本で渡り歩き、一兵卒から大名にまで出世を果たした藤堂高虎殿の話でもしようかの。高虎殿は何度も主君を替えた変節漢として知られることが多いが、この時代に家臣が主を替えることは特別おかしなことではないのじゃ。むしろ主を替えられるということはそれだけの実力の持ち主であ
今年の秋には国の行く末を決めるであろう入れ札じゃの。貴殿は行かれるご予定か?たかが自分ひとり入れ札にいかねども大勢に影響はないと思われるかもしれぬがそんなことはない。戦には一人一人の兵の力があるからこそ勝てるのじゃ。大いなる力の源は個にあるものじゃて。さて、また此度も秀吉殿の事業承継の失敗