長谷川孝のブログマガジン

【武将】第24話 財産

貴殿はどんな財産をお持ちじゃ?

ん?心配せんでもわしはルパンではないから、根こそぎいただきに参ろうという話ではないぞ。

以前わしの好きな武将と言えば、直江兼続殿じゃと申したが、今日も兼続殿の話じゃ。

昨今の状況から売上半減、ということも珍しいことではなくなっておると聞くが、もし貴殿が社長で、会社の売上が半分に減ったとしたらどうなさる?

派遣切りという言葉が流行した当時、大企業経営者の多くは、まず手始めに派遣労働者をクビにすることでその苦境を乗り切ろうとしたようじゃが、必要なときだけ集めて、いらなくなったらさっさと切り捨てる、そういう働き方じゃと言えばそれまでじゃが、そもそもそういう人の「使い方」はいかがなものなのかのぉ。

たとえ立場が違ったとしても、残された正社員は果たして安心して働けるのかのぉ。いつ自分たちにお鉢が回ってくるかと恐れながら日々過ごすことになるのではないかのぉ。

関ヶ原の戦い以前には、会津に120万石の所領を有していた上杉家じゃが、家康殿に楯突いた罰として関ヶ原後は米沢30万石にまで減封されてしまうのじゃ。

売上半減どころの話ではない。一挙に4分の1にまで収入が減ったのじゃ。

さてこの事態に上杉家のトップ景勝殿、そして実際に政務を取り仕切っていた兼続殿はどう対処したか。

安易に家臣のクビを切るようなことはせず、ほぼ全員を米沢に引き連れていったのじゃ。そして家臣もまた己の給与が3分の1に減っても、上杉家に残る道を選んだのじゃ。

そして兼続殿は、己の給与を10分の1以下に減額すると共に、治水、開墾、植樹、特産品生産の奨励などあらゆる手を打ち、上杉家の財政基盤整備に尽くされた。

家臣もよく働いた。まさに上杉家一丸となってこの苦境に立ち向かった結果、米沢移転後約40年で実質50万石にまで収入は増えたそうじゃ。

「人こそ財産なり」

米沢移転の際、兼続殿が言ったとされる言葉じゃ。

貴殿はどんな財産をお持ちじゃ?

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