本多忠勝殿をご存知か?
トンボがその先端にとまると、スッとまっぷたつに切れたと言われる名槍、その名も「蜻蛉切り」をひっさげ、戦場を駆け回ること50有余回。かすり傷ひとつ負ったことがなく、家康殿にはもったいない、と巷間謳われるほどの豪傑じゃ。
その本多殿に並ぶ無双の勇者として、豊臣秀吉殿が絶賛した立花宗茂殿。関ヶ原で西軍に与して戦後、改易されるも、後に2代将軍、徳川秀忠殿から旧領を賜っていることを考えると、敵であったにもかかわらずいかに家康殿、秀忠殿の尊敬・信頼を得ていた人物であったかも伺えるというものじゃ。
また、改易され流浪の身となっても家臣は宗茂殿に付いていき、宗茂殿が城を去る際には、多くの領民が号泣して悲しんだと言う。
家臣、領民にも慕われる人徳をもった名将じゃな。
その宗茂殿が組織運営のコツについて次のように語ったそうじゃ。
ある大名が
「宗茂殿は家中の仕置きについて一切苦労をせぬと申しておられたが、どうもそこが分からぬ。誰か目付役(監視役)に良い人物を雇っておいでなのか?わしは隠居の身にもかかわらず、わずかな召使いのことでさえいろいろと世話を焼いてやらねばうまくいかぬのじゃ」
と言った。
それに対して宗茂殿曰く、
「わたしはこれまで目付役を一人も置いたことがございません。何ごともわたしが良いと思ったこと、悪いと思ったことは女房どもにも言い、家来や召使いの者へもみな同様に申します。元来、ものを隠し立てするようなことはまったくなく、寝所で言うことも家中の陪臣(家臣の家臣)にまでも聞かせたいと思うぐらいにしております。
そのためわたしの好むことでなければ、家中の者どもはいたしませんし、わたしの嫌うことは、別に法度だと言わなくてもやりません。何ごともわたしのすることを家中の者たちも真似いたします。何ごとにつけても、このようにしろとか、あのようにいたせとか、常々指図するようなことはありません」
と。
上からの監視やルールによる締め付けではなく、価値観の共有。それが組織をうまく運営するコツということじゃな。
そしてそのために必要なことは、まずトップがぶれない軸になる価値観を持って、それを誰に対しても常に本気で語り続けること、そして本気の態度で示すことじゃ。
さらには、誰に対して何を言うかも大事じゃ。たとえば己の価値観に反する行いをする者を、戦で役立つ豪傑じゃからという理由のみで召し抱え続けることは、己の価値観をすでに否定しておるようなものじゃ。
何が大事か、よくよく考えねばならぬ。