長谷川孝のブログマガジン

【尊徳】第1話 苦難の中に

「二宮尊徳に学ぶ豊かな生き方」と題して始まりました、本ブロマガ。様々な苦難をバネに、情熱と弛まぬ努力と智恵と、そして真心で多くの人を助けた二宮尊徳の言動を通じて、皆さんと一緒に様々なことを学び、気付き、感じていければと思います。

どうぞよろしくお願いいたします。

本題に入る前に、瑣末なことではありますが、今後二宮尊徳と呼び捨てにするのも偉そうな感じがしますので、ここでは尊徳先生と記載していきたいと思います。

さて。

幼少期の体験がその後の価値観であり人生に大きな影響を及ぼすことは誰もが認めるところでしょう。

果たして尊徳先生、幼名金次郎の体験はどのようなものだったのでしょうか!?

金次郎がこの世に生を受けたのは江戸の末期。最後の将軍徳川慶喜の大政奉還によって徳川幕府が終焉を迎えるちょうど80年前のことです。

天明、天保の大飢饉、一揆、打ち壊し、逃散、財政逼迫、人心・土地の荒廃、黒船来航・・・。約200年続いた泰平の世から、騒然とした世へと移り行く時代とでも言いましょうか。

そんな中、金次郎は農家の長男として小田原の地に生まれました。生まれた頃の二宮家は豊かではないにしろ、貧しくはない状態だったようです。まあつまり、そこそこの暮らしといったところでしょうか。

それが金次郎5歳のころ、小田原を流れる酒匂川が洪水で氾濫。所有していた田畑を流され、そのほとんどを失ってしまいます。

ここから金次郎苦難の連続です。

田畑を失ってしまっては農民に生きる術はありません。父母は子供を養うため、極貧の生活を送りながらも必死になって働き、その疲労からか、金次郎12歳のときに父が病に倒れ、14歳のときに他界してしまいます。

そしてその僅か2年後に母も他界。さらにその悲しみも癒えないところに僅かに残った田も再び酒匂川の氾濫で砂礫の山と化すという追い打ち。

金次郎16歳。幼い弟2人を抱え、事ここに至ってはもはや為す術もありません。親戚の家に兄弟バラバラに身を寄せて養育されることになりました。一家離散、生家の没落です。

このような苦難に見舞われた金次郎の幼少期ですが、苦難の中からも今後の思想、価値観の根本ともなるべき重要な気付きを得ています。

ただ自己の不運を嘆き、怨み、ふてくされて、あきらめて、嫉んで、自分以外の何かのせいにしていても何も得られません。

後に尊徳先生が復興を進めるうえで最も障害となったのが、こういった人の心ですが、それはまたの機会に。

たとえどのような状況に陥ろうとも、その状況を受け容れ、顔を上げて前に進む意志をもっているからこそ気付きや
学びは得られますし、成果も得られるのです。

金次郎はまさにそういう少年でした。

さて、では金次郎はどんな気付きを得たのでしょうか?

続きは次回に。

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