尊徳先生が仕法によって人々の生活を復興した手法のひとつに、無利息金貸付法というものがあります。
国家の病弊は、負債よりはなはだしいものはない。負債というものは年々利息を払わねばならない。もしも利息を払わなければ、利息がまた利息を生じて、ついに一国一家を滅ぼすにいたること必然である。
今ここに負債が一万両あるとすると、年二割の利率(当時はそれが普通であった)で計算すれば、一周度六十年の積は五億六千三百四十七万両に達する。これが国家を滅ぼすものでなくて何であろう。
たとい年々利息を支払うにしても、二千両というものを歳入から出さねばならない。いやしくもこれを歳入から出せば、税収の減ずることは荒地ができたのと同様で ある。
これを救う術としては、ひとりわが助貸(無利息金貸付)の法があるのみである。これを名づけて報徳金という。
この金は利息をつけない。これまで出してきた利息を停止してこれによって償却させれば、わずかに五年で償還が成就する。ここにおいて二千両の税収がわがものとなること、実に荒地開墾と同様であって、農具を用いずに座上の荒蕪を開拓したといってもよいものである。
以下略
訳注 報徳外記 第十五章 助貸(上) 一円融合会刊
2006年にノーベル平和賞を受賞して一時期有名になったグラミン銀行、ムハマド・ユヌス氏、そしてマイクロファイナンスという仕組みをご存知の方も多いことでしょう。
主に農村部を中心に、貧困層を対象にした低金利の無担保融資を行い、自立によって生活の向上を促すことをしているようですが、これはまさに尊徳先生の無利息金貸付法そのもののような気がします。
無利息金貸付法は、その名のとおり、無利息です。たとえば一般の貸金業から10両を借りた場合、先ほどもありましたとおり、利息は2割が通常のようでしたから、利息で年2両の支払が必要です。毎年2両しか払わなければ、利子だけ払って元本は10両のまま残っていますから、たとえ5年払い続けて10両払ったとしても、まだ借金は10両のままです。これではいつまでたっても借金から解放されず、生活は良くならない、ということから尊徳先生が考えつかれたのが無利息ということです。
つまり、10両借りたらたとえば5年で毎年2両ずつ支払えばすべて完済する、ということです。
すでに借金をしている者にこの無利息金に乗り換えさせ、高利の借金を返済させることで、利息のために働くということのないように、頑張れば頑張っただけ実入りがあるように、環境を作ってくれたのです。
ただ、無利息で借りられたお礼として、この例で言うと6年目に今までの返済分と同じ額のもう2両を支払う、という仕組みにはなっていましたので、完全に無利息ではありませんが、それでも今まで毎年返済してきた分をあと1年余計に支払うだけですから、それほどの負担ではないはずです。
元本にこの謝礼分をプラスして、次の無利息金貸付の資金に回す、というかたちでどんどんこの仕組み内のお金は必要なところに必要な分回るようになっていき、それだけ多くの人の暮らしを助けていったわけです。
そして実はこの仕組み、借り手だけではなく、貸し手も助かることになります。借金を乗り換えさせることによって、全額返済されるわけですから貸し倒れのリスクがなくなるのです。
そもそも武士に無理矢理融通させられていたり、武士だから踏み倒されたり、あるいは利子返済すら滞るような人の先を考えると、全額返済されることは貸し手にとっても有難いことなのです。
売って喜び、買って喜ぶ、それが商売の基本であると尊徳先生は言っていますが、貸借にもそれがあてはまると。
ですから、借り手も貸し手も喜ぶという、なんと素晴らしい仕組みを何百年も前に考えつくものだと感心しますが、ここでふと思ったことは、やはり人はいつの時代でもお金がないと幸せになれないのだろうか?ということです。
あなたはどう思われますか?